Born alone, die alone.

独りを楽しむ。

「病気で休職中のSNS更新」を考えてみる。

twitter.com

他人のことを気にするかしないか。それが問題。

これが自営業だったら、誰も気にしないよね。自営業はいいよな〜で終わる。自分には関係ないものとして、区切りをつけられる。けれども、会社という他人が近い環境では、それができない人が増えてくる。とくに仕事をネガティヴに考えてる人は、「自分はイヤでも仕事してるのに遊んでるなんてずるい」と思うだろう。彼らは責任や気遣いがどうのと言うけど、それは建前。結局は妬みだ。つまりこの問題は「彼らの妬みに付き合うか、付き合わないか」ということ。妬むひとなんてバカらしいと思うなら、SNS更新すればいい。いや、バカらしいとは思うけど会社の人とギスギスする方がめんどくさい。それなら、SNS更新は控えるのが吉。

 

他人を妬む人間、自分の仕事を苦しいものとしか思えない人間がいなければ、こんなこと気にすることもないわけで。他人のふり見て我がふり直せ。わたしは人を妬むくらいなら自分を変えようと思う。自分が選んだ結果で今があるのだから、今の状況が不満でも自分の選択に責任持って、受け入れるべきだと思う。ひとに当たっちゃいかんよ。

がっかり・イライラするの、もうやめませんか。

ハリーポッター」の中で表情がほとんど変わらないキャラに、スネイプとマクゴナガルがいる。このふたり、どちらが最強なのか。

 

ada-bana.hatenablog.com

たとえば、乗ろうと思っていた電車に乗り遅れたら、人はそれを「失敗(予想外の出来事)」と判断し、イライラしたりするかもしれない。

でも、もしかしたらその電車は、10分後に脱線事故を起こすかもしれない。つまり、「電車に乗り遅れた」という出来事が本当にネガティブなことなのかは、人間には絶対に判断できないはずなのである。ただ、本人がそれを勝手にネガティブなことだと判断しているに過ぎない。 

 わたしの感情コントロール方法はまさに上記のとおり。一喜一憂って可愛らしい女の子のスペックだけど、わたしにはムリ。なんか疲れる。だから、いちいち感情を動かさないようにすることにした。

 そうしたら、毎日が穏やかで、余裕も持てるようになった。本当に笑いたいときに自然と笑えるようになったし、ネガティヴな感情に振り回されることも減った。感じたものを感じたまま表に出すのはストレスになることもあるみたい。

 一喜一憂することを悪いとは言わないけど、それでライフを削ってるなら無駄の何物でもない。ネガティヴな感情を捨てて、代わりに余裕を持つ方が人生穏やかで楽しいよ。

「お母さん、娘をやめていいですか?」こんなドラマ待ってた。

高知のホテルでたまたま観たドラマは、私のこれまでの人生そのものだった。

 

f:id:nononoo:20170224231946j:plain

娘、早瀬美月(波瑠)25歳。母、早瀬顕子(斉藤由貴)50歳。美月の中学受験や大学受験、就職の時もいつも二人三脚で頑張ってきた。
美月は完璧な母のサポートで順調に育ち、今は女子高の英語教師となり、母であり一番の親友である顕子を全面的に信頼していた。
二人はまるで恋人同士のように仲の良い母娘だった。この母娘の密着を父、浩司(寺脇康文)は気にかけていたものの、仕事一筋で二人の関係に踏み込むことができないでいた。そんなとき、新築中の早瀬家を担当するハウスメーカーの松島(柳楽優弥)が、不思議な人懐っこさで二人と親しくなる。顕子は彼を気に入り、美月とつきあうように背中を押すが、美月は松島と会うことで、自分が無意識に母親の顔色を見て生きてきたことを自覚していく。顕子は娘が次第に変わり、自分から離れて行くことに動揺し、自分の一番大切なものを奪われたくない、と次第に心の奥の危険なスイッチが入っていく。そして、ついに松島を誘惑してしまう― 

 

これはホラーでもエンターテイメントでもない。現実だ。

観終わったときには動悸が収まらず、イヤな汗をかいていた。フラッシュバックだ。このドラマと同じことを私もされてきた。その記憶が、このドラマで掘り返されたのだ。体調は最悪だが、このドラマは最高だ。フラッシュバックを起こさせるほどの高い再現性。言葉で説明するのが難しい「愛を押しつける親」が見事に描かれている。

けれども非常に残念だったのが、脚本家自身がこれをホラーだと言っていること。これはホラーなんかじゃない。現実にこんな親はたくさんいるんだよ。まさか想像だけでここまで書いたのならそれはそれですごいけど。このドラマをエンターテイメントで終わらせようとしている気がして、憤りさえ覚える。これは娯楽で終わらせていいものじゃない。ドラマ内の主人公や生徒のような子供が実際にいて、今も苦しんでいるんだ。それを知ってほしい。

 

 

Pinterestをブログに貼り付けても消えてしまうときの対処法。

この記事は、

それなのに、記事に表示されなくて困っている方向けです。

 

コードをコピーして貼り付けただけでは、うまくいきません。

下の写真は、私のボードのURLから吐き出されたコードです。

 

f:id:nononoo:20170223182113p:plain

 

コードをコピーして、HTMLの中にペーストします。そうしたら、コードの一番前に<p>を書き入れてください。書き入れるとこんな感じになります。

 

<p><a data-pin-do="embedBoard" data-pin-lang="ja" data-pin-board-width="400" data-pin-scale-height="240" data-pin-scale-width="80" href="https://jp.pinterest.com/nononoo0415/meal/"></a>

 

この<p>は、簡単に言うと段落みたいなもので、これがないと表示されないということが起きてしまうのです。

 

また、はてなブログPinterestを貼り付けて、「記事を更新する」を押した後、「記事を見る」で記事を確認しても、反映されないようです。改めて自分のブログを開いてから記事を見ると反映されているようなので、はてなブログを使用している方はご注意ください。

グラタン風ビーフストロガノフ飯

私あまりものリメイク大好きなんです。一から料理するのほんと苦手で。野菜切って肉炒めたところで飽きちゃうんですよね。この飽きっぽさ、やばいよなぁ…。

 

今日のあまりものリメイクはこれ。

f:id:nononoo:20170223142233j:plain

 

〈材料〉(一人分)

白米の残り 茶碗一杯分

ビーフストロガノフの残り 適量

シュレッドチーズ 適量

パン粉 適量

 

〈作り方〉

1.米とビーフストロガノフをココットorグラタン皿もしくは耐熱容器によそう。

2. レンジでチン。600Wで40秒だとぬるかったので、1分弱やるといいかも。

3. チーズとパン粉をトッピング

4.グリルで軽く焼く。パン粉がすぐ焦げるのでチーズの溶け具合を見ながら調整。で、完成。

 

f:id:nononoo:20170223151836j:plain

あくまでもグラタン「風」なのであしからず。

 

board

「ノブレスオブリージュ」で検索してヒットしたブログを読んでみた。

 

www.ikedahayato.com

 

ちょっとひっかかるところが。

弱い人たちは、自己愛の匂いに敏感です。ノブレス・オブリージュを実践する人たちは、自分が救おうとする、まさにその人たちから石を投げられるものです。

「石を投げる弱い人」は「運に恵まれなかった人たち」から出てくると言っているようで。それは違うと思うんです。「石を投げる弱い人」というのは、恵まれている側にも、恵まれていない側にもいるものです。恵まれない自分に卑屈になるのはもちろん、恵まれていても卑屈になる人間はいるのです。「ノブレス・オブリージュを実践する人たち」は両方から石を投げられるということです。

けれども、それは逆に言えば「ノブレス・オブリージュを実践する人」も両方にいるということになります。つまり恵まれていないのに恵みを他人に返そうとする人がいるということです。いけださんは恵まれているから返そうとする人たちのことを「高貴な人」と呼んでいますが。恵まれていないのに返そうとする人の方がよっぽど「高貴な人」なんじゃないかな。

www.ralissoutin.com

この記事はとても共感しました。特にこの一文。

強者とは、一部の人間ではなく自分より弱者を持つ世の中すべての人間にあてはまる。

ノブレス・オブリージュの「高貴なる人間」の定義が、イケダさんは金や学歴を持っていることであったのに対し、このブログでは上記という違いがあります。わたしは、21世紀ではもう金や学歴で「高貴な人」と呼ぶことはできないと思うので、イケダさんの考えはどうも納得できなかったのです。価値観が多様化している現代は、誰かと比べてもある面では弱者であり、他の面では強者である時代なのです。一概に金や学歴だけで考えるのは前時代的だと言えます。

21世紀のノブレス・オブリージュ。 持てる者の義務とは - shi3zの長文日記

 

最後にこのブログでは、金や学歴をひとより持っているだけでは「高貴なひと」とは呼べないとおさえつつ、学力や能力は与えられたものであるのだから返す義務があると述べられています。つまり、「高貴なひと」ではないけど、それでも返すべきだけのものを与えられていることを自覚するべきだ、ということだと思います。

 

三つのブログを読んで思ったのは、「高貴なひと」の定義は三者三様なものの、三人とも与えられているものを自覚せよと述べられていることです。自己肯定感が低く、持っていても使おうとしない、向上させたがらない人間が増えている日本の現状が要因にあると思います。日本人の自己肯定感の低さは病的だと常々感じており、ブログの三者もその打開策として、「自覚」を訴えているのではと思います。日本人の自己肯定感の低さは今後国を傾かせる要因になるやもしれません。彼らの訴えをより届けるにはどうしたらいいのか、私も模索中です。

 

 

心理ブームの問題点から、今後の動きを予知してみる。

心理系の情報を集めていると、心理学のおかしな使い方に出会います。

 

例えば、「失恋の苦しみを最短で乗り越える方法」とか。最短って何なんでしょうね。回り道をしないってことを言いたいのかなぁとは思うのですが。人間の感情の動きに無駄なものなんてあるのでしょうか。

感じなくていい感情なんて、ありませんよね。捨てていい感情も、ありません。だから、最短は存在しないと私は思うのです。

こういう記事を発信してるまとめサイトは、ライターに専門性を求めていません。一般人であるライターにネットで情報を探させて、ライターは表現を変えて記事化しているだけです。心理学をかじっただけでこのような誤解を招く情報を発信する人がこれからますます増えるように思います。心理学の知識が氾濫し、どれが正しいのかわからない状態になるでしょう。美容科学や、某まとめサイトの医療情報疑惑なんかがその最たる例ですね。同じ轍を踏まないためにも、しっかりと情報統制する必要があります。

 

他には、日本人が心の中を他人に見せることをためらわなくなってきていること。心理カウンセリングの普及とともに、本音を言うことは良いことだという風潮が生まれてきているようです。ニュースなんかでも、被災者やその家族が赤裸々にその思いを語るのをよく見ますよね。その本音は、時に視聴者の心を揺さぶります。もちろん真実を伝えるという正義のためなのですが、その裏にテレビ局の視聴率を上げたいという思惑はないとは言えません。つまり、ショッキングな人間の心の声を、利用する人がいるということです。真実を伝えようとするのは大切だけれども、ネガティヴでショッキングな本音まで伝えるべきなのか。私は疑問に思います。

 

これはSNSなんかでも言えることで、自分の内面をありのまま発信することは、周囲の精神衛生に対する配慮が足りないと言えます。論理的な考えを発信するのはかまわないのです。ネガティヴな感情を発信する必要性がどこまであるのか。それが問題なのです。

 

これからの時代は、上記にあるような精神衛生的な配慮など、メンタルエチケットや精神マネジメントが注目されてくるように思います。