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Born alone, die alone.

独りを楽しむ。

時間を取り戻す。時計を考える。

生き方を考える上で、時間をなしには語れない。今日は、時間について、時計の使い方について考えてみた。

 

時計を見ない生活

私は人との約束がない限り、時計を使わず生活するようにしている。電車を調べないで駅に向かうし、それで30分待たされても気にならない。その間にブログを書くなり勉強するなりできるからだ。時計を見て慌てて急ぐことがなくなったし、自分で時間をやりくりしてすきま時間を有効活用する習慣がついた。

なぜこんなことをしているかというと、「時間に追われる」という感覚が私にはものすごいストレスになると知っているからだ。もちろん私だけでなく多くの人がそう感じているだろう。だが、多くの人は学校や会社に所属し、その中で集団行動を強いられるため、自分で時間をコントロールするなどできない。そのストレスは知らず知らずのうちにたまって、酷くなれば鬱にだってなる。そもそも動物である人間が、毎日決まった時間に同じ行動をロボットのようにできるわけがないのだ。しかし社会の仕組みをすぐに変えるなんてことはできないわけで、私たちはそのルールに従いながらも自分を守っていかなければならない。無理してできないことをやろうとするよりも、少しでもストレスを減らしながら社会で生きていくべきだ。

 

アナログとデジタルの使い分け

そこで、学校や会社に行っていてもストレスを減らすための、時計の使い方を紹介する。時計は使い分けることで、その良さをさらに発揮できる。

  • アナログ時計

アナログの良さは、アバウトさにある。あまり時間に急かされたくない夜はアナログが向いている。寝室や浴室(濡れない場所)に置くと良い。また、パッと見ておおよその時間がわかるため、忙しくて文字を見る余裕のない時などに重宝する。そのため、ダイニングやキッチンも良い。さらに時間の予定を立てやすいため、デスクや勉強机にも最適と言える。

  • デジタル時計

今その瞬間の時間を知りたい時は、デジタル時計が良い。朝通勤する際や交通手段に電車を使う方はすぐ見えるところにデジタル時計があると便利だ。腕時計や携帯はデジタル表示のものをおすすめする。

時間を取り戻す時計

上記では時間に追われ気味の人の時計の使い方を紹介したが、時間は私たちが思っているほど決まった形をしていない。今までの常識とは違う形の時間を生活に取り入れてくれる時計を紹介する。

  • COSMOS

vimeo.com

デザイナー、ジェイ・ヒュン・キム(Jay Hyun Kim)さんによるハイブリッドなアイテム。あるときは時計、またあるときはムーディーな照明。そしてまたあるときは、Bluetooth機能によってスマートフォンなどと連動するスピーカーとしての役割をも果たす。さまざまな機能を兼ね備えたこの『COSMOS』は、近々クラウドファンディングサイト「Kickstarter」にてプロジェクトをスタート予定。

  • TODAY

www.kickstarter.com

デザイナー、Scott thrift(スコット・スリフト)さんによる、アナログ式でありながら、1日に一周する、24時間表示式の時計。文字盤に数字はなく、色の表現によって時間を表現。こちらも現在クラウドファウンディング募集中。

  • LMW (Liquid Metal Watch)

youtu.be

デザインウォッチ「Sea Hope」による液体金属時計。クラウドファウンディングでの資金調達を終え、2016年7月14日より発売開始。

  • ShadowPlay

vimeo.com

 オーストリア・ウィーンのデザインチーム、「breadedEscalope」がデザイン。2015年9月に開催されたウィーン・デザインウィークの展示用に開発された。

参考資料

matome.naver.jp

効率的思考は、ひとことで手に入る。

生きづらいと感じているあなたは、無駄なことに執着しているのかもしれない。人生は有限。本当に必要なものを見極める方法をまとめた。

「苦手を克服」は非効率的思考

雨の日がつらい体質だから、雨の日に休める仕事を探す。

そうした合理的な選択を、「それは逃げだ」「世の中そんなに甘くない」と批判する人もいるだろう。

世の中は甘くない。そんなこと、逃げたい人は言われなくても分かっている。
「世の中甘くないからお前も耐えろ」ではなく、少なくとも自分が手が届く範囲の世の中をどうやったら甘いままやり過ごせるか、を考えたい。

http://nyaaat.hatenablog.com/entry/nigetai

 日本の教育は、平坦な人間を評価する。長所と短所が極端に突出しているデコボコ人間は、扱いづらいからだ。替えの効くオールマイティな人材がたくさんいれば、抜けが出てもすぐ補充できて楽なのだ。教師や会社の上司はあなたに「苦手なものから逃げるのは弱い人間のやることだ」と言ったかもしれないが、実際はあなたを利用しやすい部品の一部にしようとしてるだけ。基本あなたの人間性なんてどうでもいい。

また、苦手なものを克服するより、長所を伸ばす方が圧倒的に時間がかからない。基本を理解している状態を0とすると、短所はマイナスからのスタートだ。マイナスからゼロになるまでにかけた時間を長所に使えば、長所をゼロからプラスにできるわけで。強みとして使えるのは、プラスのものだけだ。それなら、プラスのものを増やしたり、さらにプラスにしていく方が賢い生き方だ。

効率的な人間関係・SNS

人からどう思われるかはそんなに重要じゃないし、そもそも基本的にコントロール不能です。いや、もちろん重要は重要なんだけど、自分が相手をどう思うかってことのほうが本当は大事だし、自分にコントロールできないことに重要性を持たせすぎてもまったく無意味に消耗して疲弊するだけです。 

人間関係に疲れたら。人間関係の悩みを解決する考え方 - まつたけのブログ

 多くの人は人間関係を生死に関わるものぐらいに思っている。本当にそうなのか、ちゃんと考えもせず。他人から得るものは確かにある。けれども、それは会話するたびに得ているか。毎日会ってれば話すことなんてなくなるし、会話の内容もどうでもいいことばかりになる。つまり、毎日人と会って話す必要はない。ちなみに私は普段一人ですごし、年に数回だけ友人と会う時間を作るようにしている。気の合う友人と短時間しか話さないことで、有意義な時間にしようと思えるし、お互いに得るものを実感できる。自分の時間はもちろん、相手の時間も使っていることを意識するべきだ。

それはSNSなんかでも同じで、本当に必要な情報は自然に自分から取りにいくもの。だから、タイムラインに垂れ流しの情報には価値がない。情報を受け身で吸収しても、それらはほとんど無駄な情報だ。

 

「どうでもいい」が効率的思考をつくる

現代はSNSなどが発達したことで、無駄に誰もがいろんなところに敏感になりすぎだし、過干渉なのだ。

正直いうと、自分の人生に大きな影響を及ぼすものの数なんてなかがしれてるし、人間関係だってたかがしれてる。今身の回りにあるものいる人のほぼ9割が大きな目線でみて「どうでもいいもの」なのだ。

あなたは、その9割のどうでもいいものへ「どうでもいい」という感情をもつことで今重荷になってる9割を手放すことができる。そしてその空いたリソースを残りの1割の「どうでもよくないもの」へ投下すればいい。

https://www.hikikomorism.com/2016/05/30/doudemoii/

 世の中の多くが無意識に執着しているものを、いかに自分も執着していたか気づくこと。そしてそれらを「どうでもいい」と手放すこと。これができれば、多くの人が時間を無駄にしている中で、あなたは何かしらのものを残せるだけの時間を作れるようになるだろう。

参考資料

nyaaat.hatenablog.com

 

matsutake.hatenablog.jp

www.hikikomorism.com

「共感」してくるひとに気をつけて。

被害者に共感する人たち

ある記事を読んだ。

matome.naver.jp

 被害者の冨田さんが犯人を殺したいくらい憎いと言うのはまあ当然だと思う。けれども、全くの赤の他人がそれに同調しているのを見て、正直怖っ!と思った。

 

 

共感による思考停止 

なぜ私は被害者の殺意に共感する人たちを怖いと思うのか、考えていた。そしたら、あるブログでこんな一文を見つけた。

 共感の罠は思考停止にあり、結果がいいか悪いかには関係なく「いいことをした」と思ってしまうことなのである。

http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20170224/1487905200

 

殺意なき殺意

私が彼らに恐怖を抱いたのは、殺意を正当化しているからだ。日本は法治国家であり、どんな理由があろうとも殺傷は罪だ。罪を犯したからと言って、犯人を殺していいわけがない。恐らく彼らに本当の殺意はなく、被害者への「共感」を示すために言ったのだろう。けれども、犯人にも人権があり、死ねばいいだの社会にいらないなどと言う言葉はこれに抵触すると思うのだが。法を重んじる国の民とは思えない無神経な言動だ。上記の「思考停止」が働いているのだろう。

 

人が人に「共感」などできない

 私は陸上競技をやっていたが、常々思っていたのは、今目の前で走っている人の気持ちは分からないということだ。私も競技として走ってきて、その苦しさを感じてきているわけだが。それはあくまでも私の体験であって、今目の前で走っている人が同じ苦しさを感じているとは限らないし、むしろ違うものだと思う。結局私は自分の体験から今目の前で走っている人の苦しさを「想像」するしかなく、「共感」などできない。このような考えを持つ私としては、「共感」してくる人間は限りなく胡散臭いので信用しないことにしている。だから、自分の気持ちを「共感」して理解してほしいとも思わない。あなたも、「共感」してくる人には気をつけてほしいと思う。

 参考資料

nekonaga.hatenablog.com

親になりきれない大人たち。

現代の親について考えてみました。成人してもいない小娘が生意気言うなと言われそうだけど。しばらくお付き合いください。
 
〈目次〉

≫私の両親から見る現代の親たち

私の両親

家庭内別居してます。私が幼い頃から喧嘩三昧で、嫌気がさした父は逃げるように単身赴任を繰り返し、母はそんな父を見限りました。現在二人は全く顔を合わせていません。

両親はともに有名大学の出身で、社会的にも優秀と評価される人間です。それなのに、話し合いは感情まかせの水掛け論で、最終的にはお互いを罵倒し罵り合うばかり。子供の私でさえ、幼いと感じる人間性でした。

「親への反抗」を正しいと考えた人たち

どうも、両親の傾向は世代のものと言えそうです。私と同じ世代の若い人たちは、私の両親のような親に悩まされている人が多いのです。そこで今の若い親世代がこのような傾向になる原因を考えていたのですが。その答えが次の文にあったのです。

日本人が核家族を好むことの最も大きい理由は、日本人的人間関係のしがらみから逃れたいことである。確かに、このようなしがらみは個性の伸長を妨げるものである。夫婦二世代が同居しているところでは、別居が可能となったとき、若い夫婦は自分たちの「自由」を喜ぶであろう。

今の若い親世代は、個性の尊重、核家族化の奨励の真っただ中にいた人たちです。明治以来の「父親の強力な支配」に基づく家という構造に反発し、新しく理想的な「核家族」という形態を実践してきた人たちなのです。

両親は二人とも親のやり方に反発し、家を出た経緯があります。このような親への反抗をした人が多かった世代なのかもしれません。

違いを受け入れられない人たち

彼らの「親への反抗」が良かったのか悪かったのか、一概には言えません。ただ、「違う考えを受け入れることができない」という側面があるのは事実です。これは協調性には欠けますから、家庭不調和の原因のひとつになっていると考えることができます。 

≫親になりきれない大人たち

 「親から離れることが自立」という勘違い

彼らは「強力な父親の支配」という家庭形態に異を唱え、家を出て自分たちだけで家庭を作り「自由」を手に入れたわけですが。自由とは本来自分だけで管理できるだけの能力があって初めて成り立つものです。しかし、若い親たちにそんな能力があるはずもなく。彼らは自らが手に入れた「自由」によって苦しい状況に追い込まれています。

親であるための訓練を受けられない 「孤立家族」

これまでの 日本(明治以前)では、日本人的人間関係のしがらみに訓練されることで、徐々に一人前の親になっていきました。口出ししてくる老人たちの話を聞きながらも、自分の考えをちゃんと持つ、つまり「違う考えを受け入れる」訓練を、社会全体が行っていたのです。けれども、現代は社会が個人主義の傾向にあり、若い親世代は他人から意見される機会がありません。隣近所との付き合いも減ってきている現状では、訓練を受けることができないため、親になりきれない大人が増えているのです。

 親になるためには

これまでお話してきたように、「違う考えを受け入れる」ことができるようになれば、一人前の親に近づけると思われます。そのためには、他人の考えをちゃんと聞いてみるのがいいと思います。聞くだけでなく、実際に自分の生活に取り入れてみるとさらに良いです。自分で行動し、試すのは聞くだけで終わらせるのとは全く違うからです。若い夫婦が老人夫婦の良さを受け入れたことで、両者の交流が頻繁になり、荒れていた子供も落ち着いたという事例があります。少しずつでもはじめてみてほしいと思います。  

 あとがき

だいぶ長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。あなたがご家族と楽しく過ごされることを願っています。

 参考資料

河合隼雄「家庭教育の現代的意義」 

理想の家族ってそんな良いものじゃないよ。

企業によって作られる理想の家族。

少し前、感動的だと騒がれたこのCM。

 

youtu.be

 

私は見るに耐えなかった。これは企業の利益のために、子供たちを誘導して作られた愛だよ。そんなものに感動してしまう世の中の大人たち。作られた理想の家族像ばかり夢見て、本当の家族ちゃんと見えてないんじゃない?

 

「暖かい家族」って、メディアのイメージ操作だからね。

現代人ってのは、自分を受け入れて認めてくれるひとをやたら欲しがる。メディアはそこに目をつけて「理想の家族とは、無償の愛でどんなあなたでも受け入れるくれるものだよ」ってそそのかして。理想の家族を目指そうよ、理想の家族像を教えてあげるよ、代わりにお金を払ってね、となる。

 

受け入れてほしいと思ってるのは、あなただけじゃない。

家族も人間なんだから、受け入れてもらいたいのは家族も同じ。あなたを受け入れる余裕なんてない。家族だから、自分を受け入れるのはあたりまえなんてのは、甘えでしかない。

 

理想の家族って実際うっとおしい。

仲が良くて、あなたをいつも気にかけてくれて、休日はみんなで過ごす。絵に描いたようなアットホームな家族ってこんな感じだと思うけど。実際ずっと続いたら息がつまるよ。人間笑いたくない日だってあるし、ひとりでぼーっとしたい時もある。疲れて帰って、家族の話を全部真剣に聞いて笑って返すなんてきついでしょ。何か問題が起きても、ほとんどはひとりで解決しなきゃいけない。心配されても心配させているというプレッシャー を余計に背負う羽目になる。一言で言えば、重い。

干渉しない家族、これが理想。

結局は他人なのだから、完全にお互いを理解することなんてできないもの。ある程度の無関心は家族でも必要。人が人を助けるなんてのはとても難しいことで、それは家族もまた然り。すぐに口やら手やら出さないで、信じて黙って待った方が人は救われる。どうしても何かしてあげたいなら、温かいお茶を淹れるみたいな小さなことで十分。

 

参考記事

ヒキコモリズムの井上さんの記事。この方の価値観はだいぶ私と近くて、さらに記事もわかりやすい。

www.hikikomorism.com

「病気で休職中のSNS更新」を考えてみる。

twitter.com

他人のことを気にするかしないか。それが問題。

これが自営業だったら、誰も気にしないよね。自営業はいいよな〜で終わる。自分には関係ないものとして、区切りをつけられる。けれども、会社という他人が近い環境では、それができない人が増えてくる。とくに仕事をネガティヴに考えてる人は、「自分はイヤでも仕事してるのに遊んでるなんてずるい」と思うだろう。彼らは責任や気遣いがどうのと言うけど、それは建前。結局は妬みだ。つまりこの問題は「彼らの妬みに付き合うか、付き合わないか」ということ。妬むひとなんてバカらしいと思うなら、SNS更新すればいい。いや、バカらしいとは思うけど会社の人とギスギスする方がめんどくさい。それなら、SNS更新は控えるのが吉。

 

他人を妬む人間、自分の仕事を苦しいものとしか思えない人間がいなければ、こんなこと気にすることもないわけで。他人のふり見て我がふり直せ。わたしは人を妬むくらいなら自分を変えようと思う。自分が選んだ結果で今があるのだから、今の状況が不満でも自分の選択に責任持って、受け入れるべきだと思う。ひとに当たっちゃいかんよ。

がっかり・イライラするの、もうやめませんか。

ハリーポッター」の中で表情がほとんど変わらないキャラに、スネイプとマクゴナガルがいる。このふたり、どちらが最強なのか。

 

ada-bana.hatenablog.com

たとえば、乗ろうと思っていた電車に乗り遅れたら、人はそれを「失敗(予想外の出来事)」と判断し、イライラしたりするかもしれない。

でも、もしかしたらその電車は、10分後に脱線事故を起こすかもしれない。つまり、「電車に乗り遅れた」という出来事が本当にネガティブなことなのかは、人間には絶対に判断できないはずなのである。ただ、本人がそれを勝手にネガティブなことだと判断しているに過ぎない。 

 わたしの感情コントロール方法はまさに上記のとおり。一喜一憂って可愛らしい女の子のスペックだけど、わたしにはムリ。なんか疲れる。だから、いちいち感情を動かさないようにすることにした。

 そうしたら、毎日が穏やかで、余裕も持てるようになった。本当に笑いたいときに自然と笑えるようになったし、ネガティヴな感情に振り回されることも減った。感じたものを感じたまま表に出すのはストレスになることもあるみたい。

 一喜一憂することを悪いとは言わないけど、それでライフを削ってるなら無駄の何物でもない。ネガティヴな感情を捨てて、代わりに余裕を持つ方が人生穏やかで楽しいよ。