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Born alone, die alone.

独りを楽しむ。

「ノブレスオブリージュ」で検索してヒットしたブログを読んでみた。

 

www.ikedahayato.com

 

ちょっとひっかかるところが。

弱い人たちは、自己愛の匂いに敏感です。ノブレス・オブリージュを実践する人たちは、自分が救おうとする、まさにその人たちから石を投げられるものです。

「石を投げる弱い人」は「運に恵まれなかった人たち」から出てくると言っているようで。それは違うと思うんです。「石を投げる弱い人」というのは、恵まれている側にも、恵まれていない側にもいるものです。恵まれない自分に卑屈になるのはもちろん、恵まれていても卑屈になる人間はいるのです。「ノブレス・オブリージュを実践する人たち」は両方から石を投げられるということです。

けれども、それは逆に言えば「ノブレス・オブリージュを実践する人」も両方にいるということになります。つまり恵まれていないのに恵みを他人に返そうとする人がいるということです。いけださんは恵まれているから返そうとする人たちのことを「高貴な人」と呼んでいますが。恵まれていないのに返そうとする人の方がよっぽど「高貴な人」なんじゃないかな。

www.ralissoutin.com

この記事はとても共感しました。特にこの一文。

強者とは、一部の人間ではなく自分より弱者を持つ世の中すべての人間にあてはまる。

ノブレス・オブリージュの「高貴なる人間」の定義が、イケダさんは金や学歴を持っていることであったのに対し、このブログでは上記という違いがあります。わたしは、21世紀ではもう金や学歴で「高貴な人」と呼ぶことはできないと思うので、イケダさんの考えはどうも納得できなかったのです。価値観が多様化している現代は、誰かと比べてもある面では弱者であり、他の面では強者である時代なのです。一概に金や学歴だけで考えるのは前時代的だと言えます。

21世紀のノブレス・オブリージュ。 持てる者の義務とは - shi3zの長文日記

 

最後にこのブログでは、金や学歴をひとより持っているだけでは「高貴なひと」とは呼べないとおさえつつ、学力や能力は与えられたものであるのだから返す義務があると述べられています。つまり、「高貴なひと」ではないけど、それでも返すべきだけのものを与えられていることを自覚するべきだ、ということだと思います。

 

三つのブログを読んで思ったのは、「高貴なひと」の定義は三者三様なものの、三人とも与えられているものを自覚せよと述べられていることです。自己肯定感が低く、持っていても使おうとしない、向上させたがらない人間が増えている日本の現状が要因にあると思います。日本人の自己肯定感の低さは病的だと常々感じており、ブログの三者もその打開策として、「自覚」を訴えているのではと思います。日本人の自己肯定感の低さは今後国を傾かせる要因になるやもしれません。彼らの訴えをより届けるにはどうしたらいいのか、私も模索中です。