Born alone, die alone.

独りを楽しむ。

「共感」してくるひとに気をつけて。

被害者に共感する人たち

ある記事を読んだ。

matome.naver.jp

 被害者の冨田さんが犯人を殺したいくらい憎いと言うのはまあ当然だと思う。けれども、全くの赤の他人がそれに同調しているのを見て、正直怖っ!と思った。

 

 

共感による思考停止 

なぜ私は被害者の殺意に共感する人たちを怖いと思うのか、考えていた。そしたら、あるブログでこんな一文を見つけた。

 共感の罠は思考停止にあり、結果がいいか悪いかには関係なく「いいことをした」と思ってしまうことなのである。

http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20170224/1487905200

 

殺意なき殺意

私が彼らに恐怖を抱いたのは、殺意を正当化しているからだ。日本は法治国家であり、どんな理由があろうとも殺傷は罪だ。罪を犯したからと言って、犯人を殺していいわけがない。恐らく彼らに本当の殺意はなく、被害者への「共感」を示すために言ったのだろう。けれども、犯人にも人権があり、死ねばいいだの社会にいらないなどと言う言葉はこれに抵触すると思うのだが。法を重んじる国の民とは思えない無神経な言動だ。上記の「思考停止」が働いているのだろう。

 

人が人に「共感」などできない

 私は陸上競技をやっていたが、常々思っていたのは、今目の前で走っている人の気持ちは分からないということだ。私も競技として走ってきて、その苦しさを感じてきているわけだが。それはあくまでも私の体験であって、今目の前で走っている人が同じ苦しさを感じているとは限らないし、むしろ違うものだと思う。結局私は自分の体験から今目の前で走っている人の苦しさを「想像」するしかなく、「共感」などできない。このような考えを持つ私としては、「共感」してくる人間は限りなく胡散臭いので信用しないことにしている。だから、自分の気持ちを「共感」して理解してほしいとも思わない。あなたも、「共感」してくる人には気をつけてほしいと思う。

 参考資料

nekonaga.hatenablog.com